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【思い出】子供1人目(その③)【出産まで】

ブログ生活4日目

 

脱三日坊主!

 

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子供が生まれるまでは、かなり壮絶だった。(主に妻が…)

 

まず妊娠が発覚してからはひどいつわりに悩まされた。

特に1ヶ月目は初めてのつわりということもあり、しんどく、働いていた妻はしばらく休みを頂くことになった。

たった2週間であったが非常に助かった。

 

もちろん食べるものに気を遣った。

最初はモスバーガーのポテトは大丈夫という謎理論があったがそれも早々にダメになった。

最終的にアサリは大丈夫という事に落ち着いた。

 

また、妻が転倒し手を捻挫してしまう程のケガをしたこともあった。

7ヶ月も過ぎたころだっただろうか、ひどいケガでお腹の子供はもちろん妻の体がも心配になるほどであった。

病院に行き妊婦である事を伝え、お腹を防護してレントゲン撮影もしてもらった。

幸い子供も無事で妻は擦り傷と捻挫であった。

 

妊娠37週ごろから妻は出産のために歩くようになった。

毎日1時間程度歩き、私も休みの時は付き合った。中には半日近く歩くこともあった。

時期としては真夏を過ぎていたが、それでも気温が高く汗だくになってしまった。とても大変だと身をもって感じた。

 

本当に妻は出産に向けて頑張ってくれていた。

ここに書いたこと以外にも、出産のために多くのことしていた。とても頭が上がらない思いだった。

 

 

そんな中、出産予定日の3日前に妻が破水した。

 

破水といっても羊水が一気に流れ出るものではなく、少し漏れるようなものだった。

午後9時を回っていたがすぐに病院に行き、入院することになった。

 

自分も付き添いで部屋に泊まる事にしたが、仕事な疲れからあまり起きていられず、役に立たなかった(本当に情けない)

 

翌朝、診察を受けた結果

陣痛剤を投与して15時に産まれるスケジュールになった。

 

妻は終始辛そうであった。

 

13時を回った頃、妻は分娩室に連れていかれた。

 

それからは家族の戦いだった。

 

妻は陣痛に苦しみながら力み、私はテニスボールで妻の腰や臀部を力強く押し続けた。

妻の両親も到着して応援し続けた。

 

無痛分娩だったが無痛とは思えないほどだった。

無痛でなかったらどうなってしまっていたのだろうか。

 

 

そして15時5分、無事に娘は生まれた。

3032グラムだった。

 

安堵と感動、色んな感情が入り混じっていた。

 

それでも落ち着いて手足はあるか、指は揃っているか、目鼻口はあるか冷静に確認した。

 

また、この時二重でないことも確認した(笑

 

家族に見守られながら娘は生まれました。